一休禅師再興の名刹・大徳寺

洛北随一禅宗の大寺院「大徳寺」は、夢窓礎石と共に禅林の双璧と言われた宗峰妙超の開基した禅宗の寺。広大な境内には、数十の堂塔が並ぶ様は圧巻。典型的な禅宗伽藍配置で、勅使門、三門、仏殿、宝堂(いずれも重文)、方丈(国宝)などが南北一直線上に立っている。

しかし応仁の乱で、兵火に会い、衰退したが、一休宗純が再建を計った。1636年法堂、方丈なども再建され、規模を一新したが、明治維新の廃仏キ釈運動によって、塔頭の大部分が廃絶した。

この寺の見どころは、1山門2仏殿3、法堂と言われている。
「三門」の上層は、1589年千利休が完成したと言われている。ここに利休の像を安置したことから、秀吉の怒りをかい、自殺に追い込まれた要因ともなった有名な三門である。

他に釈迦三尊、十六羅漢像も一緒に安置してある。天井の竜の絵は、長谷川等伯作品である。

「仏殿」は、1665年の再建で、本尊釈迦如来像が安置され、天井は、狩野元信が描いている。
「法堂」は、1636年稲葉正勝の寄進で建築され、天井は、狩野探幽の九竜図。
加えて国宝の「方丈」で、1636年京都の豪商後藤益勝が建立、内部の襖絵は、狩野探幽である。

現在大徳寺本坊は、通常非公開だ。公開しているのは、塔頭の龍源院・瑞峯院・大仙院・高桐院だけである。

この寺は、多くの名僧、高僧を排出している。その代表的な僧が、一休禅師、沢庵和尚であろう。一休は、子どもたちの人気漫画に出て来る“一休さん”・

沢庵は、沢庵漬けの創始者、吉川英治『宮本武蔵』に出て来る沢庵和尚だ。

この寺に来ると数々の禅の名園に出会う。その枯山水を巡りながら心行くまで、ゆっくり時間の流れを楽しむことができる。特に紅葉の季節の高桐院の落ち葉は、京都でも屈指の美しさである。敷き詰められた紅葉の絨毯は見ているだけで心を落ち着かせてくれる。



大徳寺の説明と概要

大徳寺は、京都市北区紫野にあるお寺です。
臨済宗大徳寺派の大本山です。
大徳寺といえば、大徳寺に関わる有名な人物は一休さんです。
そうです。とんちの一休さんです。
一休さんは、子供の頃アニメでよく見ていましたが、まさか実在するとは思って
いなかったので実在すると知った時は本当に驚きました。
もともと、大徳寺は鎌倉末期の1315年に、大橙国師宗峰妙超禅師が開創したものです。
その後、室町時代に起こった応仁の乱で破損しましたものを一休和尚が復興したのです。
桃山時代には、豊臣秀吉が織田信長の葬儀をおこなったことでも有名です。
また、茶道とも奥深い寺です。なかでも、利休が切腹の原因となった金毛閣という
言葉を聴いたことがある方も多いのではないのでしょうか。
利休は茶人としても有名ですが、豊臣秀吉の側近でもありました。
政治的にも強い発言力をもっていました。この頃利休は、権力の絶頂にありました。
工事半ばで一重のまま放置されていた大徳寺の三問の再建に名乗りを上げました。
二階部分を建て増ししました。そして、「金毛閣」と名づけました。
金毛とは、獅子のことで悟りを開いた名僧の事を意味します。
利休は、この門の階上に雪駄を履いた自身の像を置きました。なので、門を潜るものは
自然と利休の足の下を潜ることになってしまいます。
このことが、秀吉の逆鱗にふれてしまいました。激高した秀吉は利休を傲慢な僧だと
非難し切腹を命じたのです。
しかし、門の上に像を置いたのは実は利休本人ではなく切腹を命じた真の理由は
政治的な争いが大きく関わっているとまことしやかにささやかれてもいます。
秀吉の怒りを買って、利休に切腹まで命じたこの門がまだ現存していることを
考えてもあながちただの噂ではないのかな、という気もしてきますね。

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