桃山時代の遺構が伝わる寺・西本願寺

京都七不思議の一つ、東西の本願寺はどうして分派しているのか、両寺とも親鸞聖人が説いた浄土真宗を真理とする寺である。京都では、”お東さん“”お西さん”と親しみを込めて呼ばれている。
この二つの大寺は、創建当時から分派していたわけではない。最初は一つの寺であった。親鸞聖人が90歳で滅亡後、京都東山鳥辺野の北、大谷に埋葬され、“大谷廟堂”が建立され、「本願寺」となる。それ以来浄土真宗の門徒は大きく拡大し、それを警戒した他宗派からの猛反発を受け、比叡山僧都により本願寺は破壊される。

以後各地を転々とし、1591年豊臣秀吉が寄進した京都・堀川七條に本願寺を建立する。

しかし世は徳川時代、慶長7年(1602)、徳川家康が、新たな本願寺を堀川7条に建立、西本願寺と名乗らせ、先の7条本願寺を東本願寺と名乗らせた。それがそのまま現在まで続いている。

なぜ二つの寺の分派しなければならなかったのか、諸説あるが、真実は、あまりにも門徒の数が多くなり、先に起こった門徒の一揆を徳川幕府が恐れたため、分断したというのが真実であろう。

西本願寺は、建築芸術の最高峰といわれる、桃山時代の遺構が数多く残され、国宝に指定されている。その最高芸術とされているのが、聚楽第の遺構移したと言われる「飛雲閣」であろう。桃山時代の三層楼閣としてあまりにも有名な建築だ。

他に国宝としては唐門、北能舞台、書院、黒書院などがある。
世界遺産に指定されている御影堂は、今、平成の大修理も終わり、美しい雄大な容姿を見せ、750年親鸞聖人大遠忌を待つばかりとなっている。



西本願寺の説明と概要

西本願寺の正式名称は「龍谷山 本願寺」です。西本願そもそも寺は通称です。
浄土真宗本願寺派の本山です。真言大谷派の本山である東本願寺「真言本願」と
区別するためにそれぞれのお寺は通称で呼ばれることがおおいです。西本願寺は
「お西さん」との愛称でも人々に親しまれています。
実はこの西本願寺は新撰組のゆかりのお寺としても有名です。
新撰組の屯所としても当時は新撰組にとって重要な場所でした。
境内の史跡は「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されています。
実は、私が通っていた大学は仏教系の大学だったのですが西本願寺派でした。
なので、年に何度か西本願寺に行くことがありました。そこで、いつも西本願寺と
東本願寺を間違える友達がいたものです。
西本願寺と東本願寺はいったい何がどう違うのでしょう。
もともとは、西本願寺も東本願寺も元々は一つで浄土真宗の総本山です。
教えとしては同じですが、細かい作法が少しずつ違ってくるらしいです。
1592年に、本願寺十一世法主は亡くなる前に長男の教如に十二世法主に
なっているにも関わらず、豊臣秀吉の指示を受けていた三男の准如を
跡継ぎとしてしまいました。このことによって教如は隠居をしました。
しかし、その後徳川家康に京都に寺地をもらい建てたのが現在の東本願寺です。
歴史は、本当に調べれば調べるほど奥が深いです。
本願寺の始まりは鎌倉時代のお坊さんであった親鸞聖人が亡くなり、その
廟堂から発達したお寺です。
親鸞聖人は、今でも歴史に名の残る有名なお坊さんですね。
浄土真宗の開祖です。当時、お坊さんは女性と関係を持つことを
禁じられていましたが、親鸞聖人ははじめて妻子を持ったお坊さんです。
お坊さんでありながら、人間らしく生きた魅力的な人物だったので今でも
親鸞聖人は人気があるのでしょう。

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