五重の塔で知られる・東寺
新大阪を出て京都へ到着する前、新幹線の車窓から見た人は多いはず、車窓から見える五重塔のある寺が弘法さんで知られる「東寺」だ。
794年桓武天皇が平安京を造営された時、羅城門を挟んで、東西に建造された守護寺の一つで、東側に建てられたので「東寺」、西側に建てられた「西寺」は今は廃寺となっている。
東寺が本格的に活動するのは弘法大使、空海が嵯峨天皇から東寺を賜ってからである。空海は真言密教の根本道場に作り上げ、教王護国寺と呼ぶようになった。現在は、国宝だけで、56点。重文128点を蔵するほど見どころの多い寺としても知られている。
その主なものは、建築物では、金堂、五重塔、太師堂など。講堂は、室町時代の再建で、堂内には空海の構想により21体の仏像が、立体曼荼羅となって安置されている。
仏像では、大日如来を中心に菩薩、如来、明王、毘沙門天など。
それ以外でも「東宝記」や弘法大師請来目録、宗教法具、など数店が、宝物館に所蔵されている。
ここでの観光スポット以外で、京都庶民の人気を集めているものがある。“弘法さん”と呼ばれる縁日である。弘法大師がなくなった835年3月21日にちなんで、毎月21日御影供が催される。
また12月21日には、“終い弘法”と言われ、大規模な骨董市が開かれる。
東寺のシンボル的存在の五重塔は、826年弘法大師の創建時に始まり、たびたび火災に見舞われ、4回に及んでいる。現在の塔は、1644年徳川家光の再建で、鷹さ57mの日本最高の五重塔である。
東寺の説明と概要
東寺を知らない日本人はいるのでしょうか。
日本でもっとも有名なお寺といっても過言ではないでしょう。
東寺の正式名称は教王護国寺といいます。
794年に桓武天皇が平安京に遷都した際に、平安京鎮護のために作られたと
されています。羅生門のあった東門に東寺、西に西寺を建てたと言い伝えられています。
しかし、西寺は今では存在していません。そして、東寺は建てられたときのままであり
場所も変わっていないとされています。
時は流れて、桓武天皇の後嵯峨天皇が即位しました。嵯峨天皇は弘法大使に東寺を
託します。弘法大使は、唐で新しい仏教を学んで日本に帰ってきていました。その新しい
仏教とは「密教」です。
このようにして、東寺は日本で始めての密教寺院となりました。
密教とは、漢字の通り秘密の仏教です。秘密の仏教というと怪しい感じがしますが
ここでいう密教とは怪しい仏教ではありません。
一人の弟子に対して一人の師匠がつき教えを説いていく、という口伝という方法で
伝えていくので、秘密の仏教といわれているのです。
密教では曼荼羅(まんだら)がとても重要なってきます。
東寺を託された弘法大使も寺の敷地内に曼荼羅を表現しようと、密教の主尊である
大日如来を境内の中心に据えています。
東寺の歴史を見ていくと歴史的にもとても貴重で、もちらん世界遺産にも登録されています。
しかし、今の私たちにとってとても見近な存在でもあり続けています。
東寺では、毎月21日に「弘法さん」と呼ばれて親しまれている東寺縁日が行われているのです。
もともと「縁日」とは神様や仏様と縁を持つ日といわれており、この縁日に
参拝するとよいといわれていた日です。当初は、祖師空海入寂の3月21日にちなんで
毎月21日に御影堂で行われていた御影供のことです。最初は年に1回の行事でしたが
1239年以降は毎月行われています。
これが、現在の「弘法さん」の起源といわれています。