京都八坂神社の風景

京都の家々の軒先を見ると、必ず見られるのが”蘇民将来の子孫”と書いた萱で包んだ餅が、吊るされているのを見かけるはず。これは、”祇園祭り“の時に配られた物で、これを軒先に吊るしておくと、疫病が退散していくと信じられている。京都独特のものだ。

これは、昔スサノオノミコトが、苦難の旅をしている途中、蘇民,巨旦兄弟の家を訪ね、一夜の宿を乞うた。その際裕福な弟巨旦の方は、断り、貧しい兄蘇民将来の方は、栗飯で手厚くもてなした。

スサノウノミコトは、兄の軒先に茅輪(ちのわ)を付けさせ、それ以外の者を疫病で死滅させた。そしてわが名を名乗り「今後疫病が流行ろうとも、蘇民将来の子と記した萱を軒先に吊るしておれば、難から免れる」と言われた。

祇園祭の時、栗飯を備えるのはこの時の話に由来している。
「八坂神社」は、656年の創建と言われているが定かではない。祭神は、スサノオノミコト。明治の神仏分離に伴い八坂神社と改称された。

”祇園祭“や、おけら詣りで知られており、京都市民は、親しみをこめて”祇園さん”と呼んでいる。
八坂神社には、京都の人にもあまり知られていない”祇園の杜(もり)の7不思議“がある。1、本殿東の柱から西へ向いて柏手を打つと天井に描かれた竜が吠える「竜吠え」
2夜になると人の声を出して鳴く「夜泣き石」
3地塾に達していない根深い岩「二見岩」
4祇園の湧水「力水」
5平忠盛の武勇を伝える「忠盛灯篭」
6八坂神社の正門は、皆四条通の突き当りと勘違いしている人が多いが、実際は、南の方向にある「南楼門」である。かなりの段差があるように見えるが実際は本殿と同じ高さ。
7八坂神社の由来は、大蛇を意味する”八尺“からついたもので、「八坂神社」という。奈良平安初期のころは、牛の頭を切って、竜の住む池や井戸に投げ込み、雨乞いする神事が行われていたという。竜穴のある祭神牛頭大王は、水の神、として今日の街の人々を守っていたのだ。



八坂神社の説明と概要

八坂神社は、京都東山祇園にある、とても有名な神社です。
毎年、初詣の時には全国にテレビ中継されるので八坂神社を知らない人は
いないのではないのでしょうか。
京都の人々から「祇園さん」と親しみを持って呼ばれ、古くから京都のシンボル的な
存在となっています。存在は知っていてかなり身近な神社ではありますが、その歴史
までしっている人は意外と少ないのではないのでしょうか。
そもそも八坂神社は日本書紀や古事記でも伝えられているヤマタノオロチを退治し
クシイダヒメノミコトを救って地上に幸福をもたらしたスサノオノミコトを祀って
いる神社です。都の発達と共に全国各地に役3000程の分社があります。
そのそれぞれの神社で祇園祭に習った祭りごとも行われているのです。
八坂神社は、長く「祇園社」「祇園感神院」などど呼ばれていました。明治4年に
神仏分離によって「八坂神社」と名称を変えています。
八坂神社と切っても切れない関係にあるのが全国的にも有名な「祇園祭り」です。
もともとは、祇園御礼会と呼ばれていました。869年に京の都をはじめ各地に
疫病が流行しました。この流行の疫病は牛頭天皇の祟りであるとして当時の国数の
66ヶ国にちなんで66本の鉾を立てて、祇園の神様を祀りました。
さらに、神神輿も送り、疫病の消滅を皆で願いました。これが祇園祭の起こりと
されています。後々、経済的に力を持つようになっていた町の衆の台頭でどんどん
豪華な鉾が作られ規模が大きくなっていき現在の形へと変わっていきました。
そんな時代背景もあり、豪勢で華麗な祇園祭りは長い歴史を持ち、規模もかなり
大きいものです。文化価値もかなり高いため、海外からの注目度も非常に強いです。
祇園祭は毎年、7月1日に始まり1ヶ月にわたり行われますが、ハイライトは17日の
「山鉾巡業」です。ぜひ、一度見に行ってみてください。

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